認めるとは?
僕らは自分を認め・他人を認めながら社会生活を送っているはずです。他人を認めてあげるのは大事です、とよく聞く言葉かもしれませんね。
僕も昔ある勉強会で「お互いを認め合うのは大事」ということをよく聞きました。
では、認めるとはどういうことでしょうか?
僕は、認めるとは「存在を受け入れる」ということだと思います。存在を受け入れるとは、その相手の人間性のいい所も悪い所もひっくるめて、「この人はこういう人間なんだ」と受け入れることです。
そう、相手の良い所も悪い所も受け入れることで、自分の心が寛大になれます。
すると、相手へイライラしたりビビッてしまったりと余計な人間関係の摩擦がなくなるため、人間関係がスムーズにいきやすくなるということです。
ちょっと違った見方をすると、
「自分の人生に悪影響がないから仲良くしてもいいよ」という許可を相手へ与えるとも言えると思います。
なんかこう表現すると認めることが上で認められることが下。というイメージを持たれるかもしれませんね。でも違うのです。
なぜなら、自分の人生の主人公は自分であるように、相手の人生の主人公は相手なんです。
相手があなたを認めることの「決定権」は相手が持っています。
だから、強制的に自分を認めさせることはできないのです。
※自分の外見が悪く誰からも認められない人は参考にしてください。
相手の人生は誰のもの?
相手の人生はその相手の人のものなので、相手が”自分を認めてくれる”という表現が僕はしっくりきます。
相手も同じ人間で平等な立場なので。じゃないと、相手の存在を下に見てしまうからです。
「おい、お前。俺様のことを認めろ!」
これは自己中心的で危険な考えだと思うんですね。こんな人と付き合いたいと思わないですよね?
だから、相手に認めてもらうというスタンスが大事です。
でも、同じ”認めてもらう”でも相手からあなたへ
相手 → あなた
「ぜひ、認めさせて下さい」と相手から寄ってきてくれる感じ。つまり引き寄せることができれば最高だなと思います。
で、相手を引き寄せるにはある力が必要になるんですが、それが「好印象」と「自分への自信」だと思うんですね。
そして、好印象や自分に対する自信の質が高ければ高いほど、余裕のある態度や雰囲気を醸し出します。
これが本能的魅力となり人を惹きつけ離さない。すなわち自分にとって良い人を「引き寄せる」ということなんですね。
今回はテーマが「認める」なので、魅力や引き寄せなどは割愛しますがそういうことです。
話を戻します。じゃー、そもそもどうして認める必要があるのでしょうか。
なぜ、認める必要があるのか?
冒頭、認めるとは「相手の存在を受け止める」と言いました。なぜ認める必要があるのかは、人間がもつ本能にヒントが隠されています。その本能は生存本能です。
僕ら人間は、昔からお互い支え合って生きてきました。人間は一人では生きていけませんよね。原始時代から続く集団生活の中で、長生きするために非力な人間は力を合わせてきました。
猛獣が君臨するジャングルや山などで生き残るために、石で作ったヤリや斧をもち男達は複数人で連携して食料を調達したり、帰るべき場所を守るために女達は調理やコミュニケーションを磨いて連携していたり。
個では決して強くない僕らは、集団をつくることで原始時代を生き延びてきました。それがDNAに深く深く刻み込まれています。
そのDNAが「助け合って生きろ」と命令を下すため、今の僕らも原始時代に創られたDNAの命令に従ってしまいます。
なので、他人と関わることが必要になってくるんですね。

「そんな人付き合いなんてイヤだ」と現代人の僕らが大昔に創られたDNAに対抗しようとしてもムダなんです。何十万年と積み重ねてきた歴史が違いますので。
そもそも人間は社会的な生き物なので、誰かと関わることが欠かせません。人間が「個vs個」では他の肉食動物などに負けてしまうからですね。
すると、自分の命を長生きさせるためには他の人の協力が必要になることが分かります。
あなたも僕も「友達」「仲間」がいるように、
同じような考え方をもって同じ価値観を持っている人と一緒にいると何をするにも心強いですよね。お互い理解しあっていればすぐ助けることができます。
その仲間づくりのために「他人を認める」ということが必要になってくるんです。現代は自分の意志で自由に仲間づくりができるので、とても恵まれた環境なんですよね。
自分の価値観に近く仲間になりそうな人を見て感じて、自分の人生に関わってもいいよと許可を与えること。(見て感じてというのは、印象や自信の部分になります。)
それが他人を認めるということだと思うんです。
それが自分のセルフイメージや価値観の向上につながる。そこが本質なんだろうなと。
では、僕らが他人に認められるには何が必要なのでしょうか?
- 1
- 2